北区でどんぐり倶楽部!

息子がおり、東京都北区でどんぐり倶楽部に取り組んでいます。まだまだ不勉強ですが、よろしくお願いいたします(^^)

どんぐり方式の子育て ☆母の詫び状☆ ☆(運筆は)手を添えて共に・・・☆

☆前回ブログで軽く触れましたが、今後、漢字1字か計算僅かも平日行うことにし(但し総量の増にはならない)、特に文字については漢字+運筆修正の意味合いを持たせることにしようと考えたところでした。

 

☆詳しい背景等は割愛しますが、息子の字が読めない程なのは、目の機能の発展途上よりも、運筆に苦労して「書くのが面倒くさくて疲れる」から来ていると思われたので、今は特により少量をより丁寧に行った方が良いと感じたのです。2年生になって、ノートのマス目が小さくなり、書くのに難儀しているのが分かります。

 

☆さて、いけなかったのは、丁寧と言っている私自身が焦ってしまったことです。一度、モードに入るとそれ一色の思考になって突き詰める自分の癖が、非常に悪い方向で出てしまいました。

 

☆土曜日授業を終え、長い野球試合の応援を終え、その後、お友達と公園でフリー野球を楽しんで「今日は楽しかった!」と帰ってきて、約束の「ねるねるねるね」みたいなお菓子も遊べて食べてという充実の一日だったのに、運筆で頭が一杯の私が、あれこれ尋ねたり、字を書かなければ良いだろうと鉛筆の持ち方に少し触れるつもりが熱を上げて教え込んでしまったのです。

 

☆更にマズイ事には、夜中に運筆について調べて、翌日また息子に同じように尋ねたりさせたり…。その日、息子は珍しく野球を休んで午前ゴロゴロし、午後は公園で遊んだものの、夜に38度の熱を出しました。翌日には解熱して学校行きましたが…。

 

☆風邪気味だったとはいえ、日曜日の体調不良と発熱は、間違いなく私の運筆対応のせいです。

 

☆熱で早くに寝てしまった息子のそばで懺悔しながら、過去ログを調べ直しました。これまでは「鉛筆の持ち方、どんぐり倶楽部」で調べていたのですが、「運筆、どんぐり倶楽部」で調べ直したところ…。

 

☆ちゃんと載っていました。「体感を共有する」には、「見せるだけではなく、『手(指)』を添えて一緒に(一体となって)する」「同化に近い形をとる」ことが大事で、「感覚統合は家庭生活の中で十分できる」等々と。

 

☆一方、私がやっていたのは、運筆に限らず、ただ字面どおりの「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ」の子育てだったと言えそうなのですが(それすらも微妙で使役メインだった…)、体得の極意は「体感の共有」だったのです。

 

☆頭をガーンと殴られたように、ますます落ち込みました。運筆はもとより、今までの私の子育てがいかに不適切だったかが分かったからです。寄り添うことの意味が全く分かっていませんでした。例えば、運筆は、実際にはお絵かきが始まった頃から意識する必要がある訳ですが、そこに思いが至らなかったのも、根っこは同じだと痛感しました。子ども目線の「つもり」でしかありませんでした。

 

☆漠然とした不安を感じ、見当外れに色々調べたり試したり、それも今一つ上手く行かず、どうして息子はこうなのだろうとか、息子のせいにしてしまっていました。何ということでしょうか。ガックリ…。息子に原因があったのではなく、やはり、全ては自分の子育ての結果だった訳です。

 

☆翌日(今日)、息子に謝りました。「折角の楽しい土日を、ママが鉛筆の持ち方をさせたりして悪かった。本当にごめんね」と言うと、一瞬不思議そうな顔をしてから、思い出したのか、「そうかなぁ。いいよ、別に」と言ってくれました。息子は本当に大海原のように心が広く寛容でした。(涙)

 

☆今更ゼロから仕切り直しても不自然な部分があるので、三角鉛筆に入れ替えた学校用の筆箱の中身はそのまま使ってもらうこととし、ただ、学校でも家でもいつも通り書いていれば大丈夫と話しました。

 

☆子育ては「慌てず、騒がず、穏やかに」、教育は「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」を胸に刻み直します。